「詐欺の論法」?
『東大生の論理――「理性」をめぐる教室』(高橋昌一郎)という本を読みました。
本書の中で論理学について解説してある一説があるのですが、
そこで紹介されていた「詐欺の論法」というものに、何かひっかかるものを感じました。
「これって、日常にありふれてないか?」と思ったからです。
まず、「詐欺の論法」がどういうものか。
本書の解説では、「実際には四通りの選択肢があるにもかかわらず、二通りしかないように思い込ませて、最終的に思い通りの方向に誘導する」ような論の進め方を「一種の『詐欺の論法』」と紹介していました。
例えば、
「この数珠を買わなければ不幸になります。」
というのは「詐欺の論法」の一つだそうです。
このように問い詰められると
① 数珠を買わない ⇒ 不幸になる
② 数珠を買う ⇒ 不幸にならない
という二者択一の選択だと思い込まされてしまいます。そして
「不幸になりたくない、だから数珠を買おう」
という選択に陥ってしまうことになります。
でも論理的には次の二つの場合も想定することできます。
③数珠を買う ⇒ 不幸になる
④数珠を買わない ⇒ 不幸にならない
つまり、数珠を買っても不幸になることもあるし、
数珠を買わなくても不幸にならないこともあるわけです。
最終的に数珠を買うか買わないかは、個人の自由なのですが、
論理的には四つの選択肢があるにもかかわらず、
二つの選択しかないと思い込ませるところに、
「詐欺の論法」の罠があると言えそうです。
もちろん、数珠や壺を買うかどうか迫られる場面では、
詐欺のにおいをかぎわけることができるかもしません。
でも、四つの選択肢があるのに、二つの選択肢しかないと思い込んでしまうような場面は、詐欺性の有無にかかわらず、日常的にけっこうあるように感じます。
例えばこんな場面。
「これからの時代、英語くらいできないと競争から取り残されるよ。」
「英語」と「競争」のところをそれぞれ、
「いい大学」と「就職」や
「私立中学」と「いい大学」に置き換えてもいいのですが、
こういった類の会話はわりと耳にすることが多いように感じます。
仮に友人から、上のようなことを言われると、
「やっぱ、英語くらいできないとだめだよな。」と考えてしまうのではないでしょうか。
もちろん友人は「詐欺をしよう」とは考えていないのだけれど、
「競争から取り残される」という恐怖心を喚起していること。そして、
① 英語ができない ⇒ 競争から取り残させる
② 英語ができる ⇒ 競争から取り残されない
という二者択一だと思い込ませてしまったところに、
前述の「詐欺の論法」と同じ構造を見て取ることができます。
実際には、
③ 英語ができない ⇒(けど) 競争から取り残されない
④ 英語ができる ⇒(けど) 競争から取り残される
ということも想定されるわけです。
何気ない会話の中にも、「詐欺の論法」が潜んでいるかも、
と思うと、ちょと怖い気もします。
とは言え、発言の揚げ足取りをしても仕方ないし、
論理に厳密になっていたら、何も話せなくなってしまいそうなので、
日常的には意識しすぎない方がいいかもしれませんね。
いずれにしても、
「人をだますと、自分も不幸になる」から詐欺はやめましょう。
(んっ?↑これも「詐欺の論法」?)
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