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2010年12月12日 (日)

「独服」の時間

「茶 利休と今をつなぐ」という新書を読みました。

千利休を直接の祖とするお茶の流儀には、「表千家」、「裏千家」、「武者小路千家」の3つがあるそうで、その中の武者小路千家の家元、千宗屋さんが、茶の湯の歴史的なことから茶器のこと、茶事の流れなどをまとめたのが、本書の主な内容になっています。

いくつか興味深い話があった中で、「独服」という言葉にピンとくるものがありました。

独服というのは、自分のために自ら点てていただくお茶のことを言い、著者によれば、茶の湯の原点となるものだそうです。茶の湯と禅の関わりを述べた一説で、独服について次のように書かれていました。

他者との関係を云々する前に、まず自分自身としっかり向き合う、いわば「自分をもてなす」ことができなければ、他者の心情を察し、慮り、もてなすことはできません。だからこそ、人を「おもてなし」する前の独服、自分自身と向き合う機会を作るところに茶の湯の原点があり、これこそが禅と共通する部分ではないかと思うのです。

独服を通して、自分自身と向き合うこと。それが他者の心情を察したり、もてなしたりすることにつながっている。

お茶の点前(たてまえ)については全くわかりませんが、自分のためにお茶を(またはコーヒーを)淹れて飲むことはわりと多いです。その時間は、見方を変えればすべて「独服」の時間になるのだと思うと、日常的な行為にも奥行きを感じられるから不思議です。

明日からの喫茶の時間が、さらに楽しみになりそうです。

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